さいたま市で小学生が義父に殺された事件について

2日前、さいたま市で小学4年生が自宅近くの共同スペースで遺体で見つかったという衝撃のニュースが飛び込んできた。

 

そして実はその現場は、私達が以前住んでいた近所。

学年は違うけど、息子はその子と同じ小学校に通っていた。

 

初めから父親が怪しいなって、みんな思っていたと思う。

案の定、今日義父は容疑を認めた。

「本当の父親じゃないくせに」

賢い少年は、無職でダラダラ引きこもる男性を父親とは認めたくなかったのではないか。

 

カッとなって殺してしまった。

なんて短絡的な犯行なんだろう。

ましてや子供に対して・・・

 

子供に対して・・・

そんなこと言ったら、あいつだって、

散々子供達にひどいことをしてきた。

 

もしかしたら子供達が死ななかっただけで、

殺されなかっただけで、

本当は運が悪ければそういうことになっていたのではないか。

 

誰かがこんなことを言っていた。

日本は本当に殺人事件が少ない国。

しかし、その半数以上は身内の犯行によるものだ。

 

身内だからこそ、憎いのか。

それとも身内だから、何をしてもいいと思っているのか。

ふつふつと怒りがこみ上げてきた。

 

こび事件で、一気に嫌な記憶が蘇ってきた。

そして更に私があいつを憎むきっかけになった。

でも「憎しみ」は消さないといけないだろう。

じゃないと、本当の意味では前にすすめない。

 

 

 

 

さいたま市で小学生が義父に殺された事件について

2日前、さいたま市で小学4年生が自宅近くの共同スペースで遺体で見つかったという衝撃のニュースが飛び込んできた。

 

そして実はその現場は、私達が以前住んでいた近所。

学年は違うけど、息子はその子と同じ小学校に通っていた。

 

初めから父親が怪しいなって、みんな思っていたと思う。

案の定、今日義父は容疑を認めた。

「本当の父親じゃないくせに」

賢い少年は、無職でダラダラ引きこもる男性を父親とは認めたくなかったのではないか。

 

カッとなって殺してしまった。

なんて短絡的な犯行なんだろう。

ましてや子供に対して・・・

 

子供に対して・・・

そんなこと言ったら、あいつだって、

散々子供達にひどいことをしてきた。

 

もしかしたら子供達が死ななかっただけで、

殺されなかっただけで、

本当は運が悪ければそういうことになっていたのではないか。

 

誰かがこんなことを言っていた。

日本は本当に殺人事件が少ない国。

しかし、その半数以上は身内の犯行によるものだ。

 

身内だからこそ、憎いのか。

それとも身内だから、何をしてもいいと思っているのか。

ふつふつと怒りがこみ上げてきた。

 

こび事件で、一気に嫌な記憶が蘇ってきた。

そして更に私があいつを憎むきっかけになった。

でも「憎しみ」は消さないといけないだろう。

じゃないと、本当の意味では前にすすめない。

 

 

 

 

相手は変わらない。だから私はもう前を向く。

しばらく放置していたブログ。

確認したら、約1年ぶりだった。

それから1年間、本当にいろんな変化があった。

 

まず一番の変化は、子供達を連れて家を出たこと。

そして離婚に向けての調停を進めていること。

 

家庭内別居をしていたわけだが、心の平和はなかった。

本当はあの時に、家をでるべきだったのかもしれない。

しかし私はまだ相手がまた家族として輪の中に入ってきてくれることを期待していた。

 

しかし家庭内別居から1年、状況はよくなるどころか、悪くなった。

 

ある日、子供達が騒いでいることに腹をたてたのか、いきなりドアを破壊、注意するわけでもなくいきなり子供達に手を上げた。

 

子供達は怯え、泣いていた。

 

そうだ、あの人は変わらない。

結局、このままでも何も改善しないし、子供達は傷つくばかりだ。

そう思って、静かに子供達と家をでた。

 

家を出て、実家に戻った。

私達が行くのは実家しかないとわかっているはず。

着信もLINEも拒否していない。

 

それでも2ヶ月たっても一切連絡はなかった。

ここまで来て、まだ私は相手に何を求めているというのか。

これまでのことを謝ってほしいのか、反省してほしいのか。

 

自分の気持ちにも切りをつけるために、調停を申請した。

来週、第一回目の調停が行われる。

 

 

 

 

発達障害を乗り越えたといっていいのかわからないけれど、今の私は悩める人を支援したい

私はいわゆる発達障害を持っていると思っている。思っているというのは診断されたわけではないので、断言したくないという気持ちだ。

ADHD注意欠陥多動性障害)の不注意優勢型というタイプだと思われる。小さいころからの自分の行動はすべてここに当てはめると納得できるからだ。

小学校・中学校時代の私

 とにかく片付けができない(豚小屋と呼ばれていた)

 時間管理ができない(気が付くと遅刻している)

 集中できないのに、好きなことだけ没頭する

 注意散漫(すぐ怪我する、ぶつかる、転ぶ、ものをこわす)

 先生や家族とコミュニケーションがうまくとれない(話を聞けない、反発する)

 集団行動が苦手(わざと孤立しようとする)

 学校を休みがちになる

 学校に行きたくなくなってくる

 生きるのが辛くなってくる

 

こんな状態だったけど、昔は発達障害って言葉自体浸透していなかったし、こういうだらしなさは私の個性だと捉えられていたと思う。だから、特に検査を受けることもなかったし、そのまま仕方ないと諦められていた。

そのうち学校にいきたくないな~って思う日が多くなってきて、不登校まではいかなかったけど、結構休んでたと思う。

 

高校時代の私

なんとなく入った高校で特に楽しいこともなくて、仲良い友達もできなくて、つまらなくなって1年の1学期で行かなくなった。親にも反発したい年頃だったから、家にもいたくなくて、でも行く場所ないからどうにかして家を出られないか夏休み中ずっと考えていた。

「留学したい」よく言えたなと自分でも驚く。たまたま新聞の広告のところに海外留学の募集がのっていて、これだ!って思ったんだけど、今思えば英語なんてまともに勉強したことがない奴が、よくそんなこと言えたな~って思うんだ。

もちろん家族全員に反対された。でもこれしか道がないと思った。毎日毎日話をして、英語を必死で勉強した。学校の先生も学校を辞めずに休学にしようよとか提案してくれたんだけど、それも受け入れず。

今は亡きじいちゃんが言った言葉が結構印象的で「お前は日本を捨てる気か~」さっぱり何を言っているのか理解できなかった。今思えば、戦争を経験して苦労してきた人だからこその言葉だったな~と思う。

説得にはかなりの時間がかかったけれど、母親と担任の先生の理解は結構早かった。2人の言葉「自分も若い時に留学しておけばよかったと今でも思う」そうそう、担任の先生は英語の先生だったからね。

そんなこんなで最終的にはみんな同じことを思っていたと思う。「こいつに何を言っても聞かないだろう。もう行かせるしか。。。」かわいい子には旅をさせろじゃない、問題児はとりあえず外に出してしまおう的な発想だと思う。

晴れて翌4月カナダに留学した~めでたしめでたし~にはやっぱりならないよね

やっぱり考えが浅はかだったよね。とりあえず9月の編入まで語学学校に行っていたんだけど、全く授業についていけない。何がわからないのかもわからない状態ね。言いたいこと言えないし、相手の言ってることもわからないし、だからわからないことも聞けない。

それに語学学校だから、やっぱり日本人は日本人でグループになるわけ。だから余計に英語になじめない。やばい、まずい、やってしまった。。。でももうやるしかない。そう思って奮闘した。9月の高校編入は日本人が極力いないところを探した。すごい田舎の小さい町。ホームステイして学校に通い始める。

ホームステイって相性あるよね、だから相性悪いと最悪

ホストファミリーはパパが森林保全関係の仕事、ママはワインショップオーナー。二人の同年代の息子と、香港人の留学生。とにかくパパとママは仕事で忙しい。あまり家にいない。だからあまり話ができない。かといって息子2人は異性だから、話す話題もない。香港人の女の子は結構フレンドリーなんだけど、若干おせっかいで厚かましい。結局あまり交流もないまま、ただ間借りしている状態だったかな。

下の息子が当時中学生くらいだったんだけど、ちょこちょこ私がいないときに部屋に入っていろいろあさるのね。お金がなくなったり、下着がなくなったりして。結局話し合って鍵付きの部屋に移動したんだけど、今度は部屋に入らなくなったかわりに嫌がらせをしてくるようになった。シャワーものぞかれたり。でもそういうの訴えても、パパママ家にいないし、証拠もないし、息子の事は溺愛してるから味方になってもらえない。いつからか私が虚言しているのではないかってことになって、家に居づらくなった。

忘れもしない極寒の雪の中、ホームステイ先から家出して彷徨う

そこは冬場マイナス40度にもなる極寒の地。そんなところをフラフラと彷徨うこと=自殺行為だよね。でもなんだか辛かったんだよね。家にも学校にも居場所がなかった。結局日本にいたときと同じ状態になってしまった。

私はどこに行ってもうまくやっていけないんだ。みんなと仲良くなれないし、うまく立ち回ることができない。何をやってもダメで。ここで何やってるんだろう。そんな気持ちだったと思う。

家からいなくなってみんな探してた。でも小さな田舎町。電車にでも乗らない限りどこにも行けない。案外すぐに発見されて連れ戻される。

それからホストファミリーによる家族会議が開かれた。なぜみんなと打ち解けないのか、なぜ一人で勝手なことをするのか、なぜ今回のようにみんなに迷惑をかけるのか。いろいろ聞かれたけれど、私はもう何も話せなかった。どうせ私の事なんてって気持ちが大きかった。

そんなこんなで帰国することになった。でも日本に帰ってきたら、すごくほっとした

いま思えば嫌な思い出もあったけど、いい経験ができたと思っている。普通に高校に行っていたら一生知りえなかった世界をたくさん体験した。だから後悔しているわけではないんだけど、本当にいろんな人に迷惑をかけてしまったことは今でも反省している。

初めに発達障害の話をしたが、結局原因はそういうところだと思っている。自己管理ができない人間は、どこに行っても同じような壁にぶつかり苦労する。そして周りの理解がなければ、うまく社会に適応していくのは難しいという現実がある。

原因をきちんと理解しない限り、改善もしない。結局同じことの繰り返し

日本に帰ってきてからは、とりあえずがむしゃらにバイトをした。お金を貯めた。そして実家を出た。一人暮らしをしながら、バイトをして、通信制の高校に通った。とりあえず自立しよう。とりあえずバイトでもなんでもいい、自分でお金を稼いで、自分で生活しよう、そう思った。

昼夜バイト漬け。高校は新幹線と在来線の乗り継ぎで月に1回のスクーリングと自宅学習。とにかく必死だった。そうだやるしかないんだ、もう残された道はこれしかない。そんな強い意志を持っていた。しかし実際の生活は散々だった。かなり荒れていたと思う。

部屋は散らかり、片付けられない。時間も管理できないので、バイトに遅刻したり、人との約束を守れない。ミスも多い。知らない土地で友達もできない。どうしようもない状態だったと思う。

しばらくして彼氏ができた。すごく大好きになった相手。デートに遅れるわけにいかない、時間管理ちゃんとしなきゃ。いづれ部屋に呼ぶかもしれない、きれいに片付けなくちゃ。単純だよね。恋がきっかけに変わろうとするの。でもこれが本当にいいきっかけになったと思う。

デートに遅れないためにはどうすればいいんだろう。何時に起きればいいのか、待ち合わせ場所まではどの道を通り、どの交通手段でどのくらいで到着するのか、心配だから一つ前のバスに乗ろう、着ていくもの、持っていくものは前の日の用意しよう、そうやって念入りに準備した。

なんだ、これってデートの時だけじゃなくて、毎日やればいいんだ。こんな単純な解決法をその年まで知らなかった自分を恥じた。いや、本当は当時、どうして私の周りの人たち(特に両親)はこういう基本的なことを教えてくれなかったのかって思っていたと思う。でも教えてくれなったわけじゃないんだと思う、覚えてないだけで、教えたけど私が対応できなかっただけなんだと思う。

自分の行動を分析して、研究して、改善すること。それが自己管理の第一歩 

それからというもの、自分の日々の行動を手帳に書くようにした。何で失敗したのか、原因は何なのか。そうして日々の生活を見直し、同じ失敗をしないために。

手帳にはなんでも書いている。いろんなところに書くと、どこに書いたかも忘れるし、見つけるのにも時間がかかるし、最悪書いたものをなくすからだ。

今では手帳で管理しているものと、情報量が多いものはEvernoteで管理するようになった。Evernoteはなくす心配がないし、タグで紐づけしておけば、すぐに見つけられるようになっているからかなり便利だ。

発達障害という言葉を知らなかったから、私は今社会に適応できているのだと思う

私が発達障害という言葉を知ったのは、本当に最近の事だ。「大人の発達障害」という言葉が出始めたころだと思う。それまで言葉も意味も知らなかった。知らなかったがゆえに、自分がこれに当てはまるということも知らなかった。

初めて発達障害の特徴を見たとき、なんだかすごく安心した。私は長年、自分がいろんなことがうまくできないことをずっとコンプレックスに思ってきた。どうしたらみんなみたいにちゃんとできるんだろう、普通の生活ができるんだろう、何をどうすれば。。。いつもこういう感情に支配されて、自信を無くし、自分の価値を見出せなかった。でも、障害なんだって思えたら、出来ないことも少しだけ受け入れられるようになって、出来ないことに対して少しだけ前向きになって、それでも出来ないことは少しだけ諦めてみることもできるようになった。

そんな私も今では子供を育てるママになり、フルタイムで働く社会人でもある。今でも予定をぎゅうぎゅうに詰め込みすぎてどうにもならなくなることや、なくしものもするし、忘れ物もするし、いっぱいいっぱいになると、完全に思考が停止するけれど、あの頃に比べれば管理すること自体が自然とできるようになっている。

過去があるから今があるのは確かだけど、今を大切にしたい

数々の失敗から私は自分を変えたいと努力をしてきた。今の自分がいるのは、過去の自分がいるからだけれども、過去にいつまでもとらわれるような生き方はしたくないと思っている。ただこういった過去の経験を元に、同じような悩みを抱える人たちの手助けはできると思っている。それをこれから形にしていきたい。

今でこそ様々な壁にぶち当たるんだけど、うまく自己解決できるようになった。昔は病院に行ったり、カウンセリング受けたりしたともあったんだけど、誰に話してもわかってもらえなかったし、気持ちが軽くなるどころか責められているような気分になっていた。

今は少しずつ発達障害の事が理解され始めて、病院でもきちんと診断してくれるところもあると思う。薬の処方が必要な場合もあるし、カウンセリングが必要な場合もある。適切に処置して、出来ることから対応していけば、必ず良い方向へ改善していく。

私は自分の中で発達障害を克服するために必ず実行する項目を決めている。そして今でも自分の事を発達障害だと思うようにしている。そうでないと、すぐ同じ失敗を繰り返すからだ。

例えば

  • 予定は必ず手帳に書き込み、朝の支度の時に必ず確認する
  • いつも笑顔でいること。周りの流れに巻き込まれて焦ったり落ち着かなかったりすることをなくすために、ゆっくり穏やかな気持ちでいるように心がけて、動作や言葉をゆっくりと自分のペースで行うこと。
  • 不安や心配事があるときは、その感情に支配されないように、本や音楽で気分を切り替えること。
  • 一日のうち必ず一人で過ごす時間を設け、静かで穏やかな時間を過ごすこと

これらのことを私は自分の中で最低限のルールとしている。会社でもプライベートでも自分という存在自体が不安になることもあるため、このルールは欠かせない。相当マイペースな奴だと思われているかもしれないが、ペースを崩す=不安に陥る原因にもなりうるため、不安になるくらいならマイペースな奴だと思われていた方がいいやと思うようになってきた。

こう書いているとタイトルに「乗り越えた」と記載したのは、嘘になるかもしれない。確かに今でもこういうことを常に意識しなければならない状態にあるのは確かだ。でも昔と何が違うかと言ったら、こういう自分を今は受け入れているということ。こういうことも含めて自分であり、こういうことがあっての自分だ。そしてこれからもこれが自分だと認めて、好きになって、大切にしていきたいと思っている。

 

 

 

 

東京タワーからのテレビ電波送信終了

今日はね私の誕生日なんだ~ってどうでもいいよね。39歳。うれしいとかうれしくないとかどうでもいい年だな。

自分の誕生日に何が起きるか?まず絶対サプライズ的なうれしいことは起こらない。じゃあ強烈に印象に残るようなことが起こるかと言ったら、それも起こらない。

まあ、何も起こらず日常と変わらず過ぎ去ってくれるくらいがちょうどいいね。台風来てるし、おとなしく過ごすことにしよう。

東京タワーからスカイツリーに世代交代する、自分もそんな年だと実感する

東京タワーで電波の送信が始まってから60年。周りの高層ビルたちに邪魔されうまく電波を送信できなくなったため、スカイツリーに未来を託したわけだが、なんだかこの理由を考えると考えるほど、東京タワーに対して「お疲れ様」と声をかけたくなる。まるで退職者に対するねぎらいみたいに。「これからはラジオ電波でも飛ばしながら、老後を楽しむよ~」そう言って少し寂しそうに会社を後にする。

現役時代はバリバリ第一線で働いてきた人の背中が、今見送る後ろ姿は驚くほど小さく見える。お疲れ様でした。ありがとうございました。

さぞテレビ好きのように聞こえるかもしれないけど、うちテレビ映らないからね

もともとあまりテレビ見ない。それは小さいころから。なぜって、いつも実家のテレビは相撲か野球かニュースしか映ってなかったから。そして家長(じいちゃん)以外にチャンネル権はなかった。だからそんなの見る位なら見ないからいいよって思ってた。

うちのテレビは受信レベルが~って出てから徐々に移らなくなってしまったけど、もともとテレビ見ないのでそのままでいいや~って。世の中のニュースはネットで十分だし、もともと芸能にあまり興味がないし。

子供たちははじめこそ文句言っていたけど、その分好きなDVD借りてきてみることはできるので、今では何も言わなくなった。

何が一番いいかって、朝当たり前のようにつけていた(子供が勝手につけた)子供番組を見なくてよくなったこと。朝からうるさいんだよね。あの無駄に高いテンション。朝は静かにゆったり過ごしましょ~。

今では何も音がないのが普通、たまにDVDが付いて、たまに聴きたい音楽を聴いている。ほしい音を選択できるというのは、とても良い。

 

 

 

 

わたしの自立

自立って立派な感じがするよね。

自分一人で立つ。

でも自立って結構難しいよね。

人間って弱いから。

自分で立ってるつもりでも、フラフラしてたり、どこかに寄りかかっていたり、支えてもらっていたり。

そんなにきっちりまっすぐ立てる人なんていないよね。

でもさ、自立している人ってかっこいいの。輝いて見えるの。強く見えるの。なんでも一人でできて、迷いなく生きているように見えるの。

だけどそんな人たちだって、寂しい夜はあるし、苦しい時期もあるし、悲しい日々もある。みんな踏ん張って頑張っているから、きちんと立っていられる。

一人の人間として、ずっと自立していかないといけない。

それは恋人ができたって、結婚したって、子供ができたって変わらない。

だけど少しだけ支えてもらって、また自分もその人の事を支えてあげると、その自立という柱は今までよりもずっと安定する。

 

カメレオンのように生きよう。でも軸はぶれないようにしたい。

このブログには、私が普段考えていることや感じていることをそのまま書いていこうと思っている。だからもし自分が書いた記事を後で読み返して、それちょっと感じ方が変わってきたなとか、今は真逆の考えをしているって思ったとしても、当時の記事に対して自分で「前はこんなこと言ってたくせに~!!」と突っ込むことがあったとしても、過去の記事を削除したりってことはしないと決めた。

考えていることや感じることって、日によってさまざまに変化する。それがある程度定められた幅の中で変化する人もいれば、360度変化しながら模索する人もいる。あるいは型にはめて、幅を最小にする人もいると思う。

私は日々360度自由に回転しているタイプだ。今日はAがいいと思っていたのに、明日はBでもなくCでもなく、いきなりKくらいまでいく。そう思っていたら次の日はGに戻ってきたり、Zにいってしまったり。

それってかなり優柔不断で八方美人で、自分の考えなしに人に左右されてばっかりってことでしょて言われてしまうかもしれない。

360度自由に動けるのはその中心に軸があるから

自分の中心にある軸は常にしっかりしたものにしておきたいと思っている。ここがぶれると、360度回ることなんて不可能だし、どこかのとんでもない考えに出くわしてしまったときに、いきなりその考えに洗脳されてしまう危険がある。

ぶれたくない部分、曲げたくない信念、それを絶対に守っていこうという心。これが自由に動き回っても、必ず軸があるから大丈夫という確信になる。

軸さえあれば、受け入れられる許容範囲は果てしなく広くなる

一人ひとりがいろんな考えを持つのは当たり前だし、価値観だって違って当然。だからいろんな人と交流していろんな人の話を聞くことはどんどんしていきたい。たくさん刺激になるし、たくさんの学びがあるから。自分の考えられない視点から物事をとらえていたり、思いもつかない発想をしていたり、天才過ぎて自分には理解できなかったりすることもあるけれど。

その人の考えを一概に正しいとか間違っているという判断をすることだけはしたくない。たとえそれが常識から逸脱していたとしても、どうしてそういう考え方に至ったのかの経緯を知りたい。そして一旦受け入れたものを十分に考慮した結果から導き出した答えの中に、「受け入れられない」という考えはあまり存在しない。

人の思考は無限であり、自由であり、面白い

 

私も日々様々なことを考える。時に考えすぎて、頭の中がぐちゃぐちゃになる。そういった意味でも、このブログがいい感じに思考を整理してくれると期待している。

自分の頭の中なのに、自分の考えていることがわからなくなるなんて、とてもおかしい感じがする。自分の身体を完全にコントロールできていない。そして、いきなりその思考のせいでよくわからない感情に支配されるときがあったり、いきなりすっきり爽快になることもある。

だから面白いとも思うし、未知の世界だからこそ、なんでもできそうな気がしてくる。

型にとらわれた考え方をしていると、その型の中でしか考えられなくなる。四角は四角であり、丸くなることはないと決めてしまえば、それは丸くなることはできない。四角は時として、丸くなることもある。四角は本当は丸なのかもしれない。と考えてみると、世界はどんどん広がっていく。

こんな面白くてワクワクする遊び場が、実は自分の一番近いところにあるなんて、すごく幸せだ。